最近、友人が愛車との別れを迎えました。彼とは長年にわたり、多くの冒険を共にしてきましたが、特に記憶に残るのは欧州製のバイクに乗り、未知の景色を求めて旅を続けたことです。そんな彼が「もうバイクには乗らない」と宣言したとき、私たちの間で何かが終わった感がありました。しかし、そこには新たな始まりの予感も漂っていました。
私の趣味は、自然や風景写真を撮ること。特に、霧がかかった幻想的な風景を捉えることに情熱を注いでいます。友人がバイクを手放したことで、私たちの共通の趣味であったバイク旅も一旦終焉を迎えたわけですが、それは新たな趣向を模索するきっかけとなりました。
彼の選択は、私にとっても大きな影響を与えました。バイクで風を切る喜びを知りつつ、足を地につけて自然を感じる時間が増えたのです。霧に包まれた早朝、カメラを手に近くの森へと足を運ぶようになりました。霧の中で浮かび上がる木々のシルエット、日光が霧を突き抜ける瞬間。これらはすべて、バイクで駆け抜ける時には見落としてしまう光景です。
そうして自然を撮影する中で、私はレンタルバイクの存在を改めて考えるようになりました。友人がバイクを手放した後、私たちは時々、レンタルバイクを利用して旅をすることにしました。これが意外なほど新鮮で、違った視点から旅を楽しむことができるようになったのです。レンタルバイクであれば、特定の場所でしか体験できないバイクや、普段は手が出ない高価なモデルにも気軽に乗ることができます。また、旅の計画を立てる際にも、より柔軟に、そして冒険的な要素を取り入れることができるようになりました。
物事の終わりが新しい始まりであることを、この経験は教えてくれました。友人との関係も変化しましたが、それは決して悪いことではありません。むしろ、私たちは新たな形での冒険を共にすることができるようになりました。霧がかかった風景を通じて見える世界は、常に変わり続けるもの。レンタルバイクを通じて、私たちはその変化を楽しむことを学んでいるのです。